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▶︎洗心不動尊 千光寺 玄津管長

弘法大師空海のお導きにより、真言密教を学ばせていただきました。

千光寺 玄津管長は、1985年大阪吹田垂水神社・垂水不動尊にて密教に開眼、高野山真言宗第四〇八世管長並びに総本山金剛峯寺座主・竹内崇峯大僧正に「仏光照心」の教えにより真言密教を学び、玄津(「玄」は天空、「津」は潤す)と命名される。1995年阪神大震災後に姫路成田山明勝寺にて僧階「権律師」教師資格を賜り、千光寺総本山の管長となる。「世界人類平和祈願の鐘」建立推進委員会事務総長。2001年11月1日僧階「権大僧都」を賜り、その後、「阿闍梨」を賜る。現在和歌山県白浜町洗心不動尊千光寺管長 。成田不動修験本宗相談役。

高野聖 玄津

高野聖(こうやひじり)とは、日本の中世において、高野山から諸地方に出向き、空海伝説を伝え、時には「自分は空海である」として、困っている人々を助けてきた人々です。即身成仏(生きている今を幸せにする)すなわち真言密教を普及するための「方便」として、高野聖は空海のなりすまし活動を行い、それにより、飛行機も新幹線も車も高速道路も無い時代に、全国各地で3000の空海伝説をつくり、今に伝えられているということになります。

その他勧進と呼ばれる募金活動のために勧化、唱導、納骨などを行った僧侶を高野聖と言います。高野山で平安時代に発生し、高野山聖の始祖としては小田原聖(おだわらひじり)の教懐、明遍、重源らが知られています。高野聖は複数の集団となって高野山内に居住していましたが,その中でも蓮華谷聖(れんげだにひじり)、萱堂聖(かやんどうひじり)、千手院聖(せんていんひじり)が三集団が最も規模の大きいものとして知られております。こうした高野聖は高野山における僧侶の中でも最下層に位置付けられ、一般に行商人も兼ねていたそうです。

戦国時代になると学侶方や行人方とともに高野山の真言密教の聖地の一勢力となり、諸国に高野山の空海伝説や密教信仰を広める一方、連歌会を催したりして文芸活動も行ったため民衆に親しまれていたと伝えられています。

江戸時代になって幕府が統治政策の一環として、各寺院に人々を管理することを意図した檀家制度を推進したこともあり、さしもの高野聖も活動が制限され、空海のなりすまし活動による募金活動も出来ないようになり、やがて衰えていきました。しかし、その思いは消えてはおりません。

高野聖の最後の末裔(125代目)として、約21年前に、千光寺総本山の管長となったのと同時に、約300年前の千光寺の前身となる高野聖の初代彌栄上人から数えて125代目の空海となったのが、空海ゆかりのお寺千光寺 玄津管長のいわれなのです。願望達成術である真言密教を、世界中の人々に、happy method(ハッピーメソッド)として伝えよとの、初代空海からの霊指だったと確信しております。約1200年前の初代「空海」の使命を受けて、真摯に空海伝説、真言密教の素晴らしさの布教活動を邁進する覚悟を新たに精進して参ります。

阪神淡路大震災を経て

千光寺の総本山は兵庫県にあります。彌栄上人から約300年の歴史が有る寺院ですが、宗教法人としての設立は、昭和27年9月19日です。

私、玄津がご縁をいただいた多くの方が、平成7年1月17日の阪神淡路大震災により命を落とされました。その死に直面した時、命の尊さを通し仏様を観じ、煩悩(欲望)をパワーに変えて幸せを掴むという、空海の「現世利益」(生きている「今」を「一所懸命に生ききる」)すなわち空海の曼陀羅の金剛界の知慧を悟り、被災寺院から、移転・再建等々お務めさせて頂きました。その後の平成12年7月2日、責任役員より、代表役員(管長)への就任をさせていただきました。

宗教法人設立の登記目的は、千手観音を本尊とし弘法大師を宗祖として尊信し祖廟中心の宗是に基づき眞言宗(包括寺院では無く現在の千光寺は単立宗教法人です)の教義をひろめ儀式行事を行い信者を教化育成し、祖風宣揚密教隆衆生済度の聖業に精神し、その他この寺院の目的を達成するための業務及び事業を行うこと。実際にそのように記載、登記されております。

空海を宗祖とし、真言宗千光寺派の教義・真言密教を広める目的を達成する為の業務及び事業を行う。これが千光寺ならびに玄津に課せられた役割であり責任となります。

 

千光寺の朱印帳「齋生利民」

二十数年前、突然私(玄津)を訪ねて来た僧侶(昇道師匠)に、高野山の金剛峯寺に上るよう告げられ、高野山を訪れたました。その時、拝謁させていただいたのが、空海亡き後の第408代目、竹内祟峰大僧正(当時高野山真言宗管長・総本山金剛峰寺座主)でした。

「あなたは、あなたのやり方で、若い人々に『真言密教』を広めなさい」

私は、小さな不動明王堂の前で真言を唱えるだけで、長年苦しんでいたひどい喘息が完治したきっかけにより、密教ファンとなり、姫路成田山に無理をお願いして仕事をしながらの割行にて、密教の加持祈祷の修行をしていました。しかし当時の私は、竹内管長猊下に対して畏れ多くも

「誠に申し訳ありませんが、私は、頭を丸坊主にしたり、僧侶の衣装を着たり、高野山に出家して、僧侶になる事は、絶対にできません」

と言ってしまいました。

管長猊下は、

「あなたは、すぐに僧侶にならなくても良いですよ。何故なら貴方は、ビジネス界で死ぬほどに苦労します。つまり、それが密教の苦行(修行)となります。あなたは、貴方の好きなように生きなさい。それこそがお大師さま(空海)の『現世ご利益』であり、真言密教の最終的な解答となる『即身成仏』なのです。」

そして後ろへ振り向き 、「齋生利民」と書かれた書を指差しながら、こうおっしゃいました。

「この書の『濟世利民』について考えるように成長した時に『玄津』と名乗りなさい。『玄』は天空、『津』は潤す。すなわち、『人々の幸福を実現するために、仏(空海)の教えを世の中に広めなさい』という意味となります」

この経緯より、現在千光寺の朱印帳は「齋生利民」とさせていただいております。

 

今だから理解出来る「空海の即身成仏」とは?

大日如来と一体となる境地の成就です。

空海がめざした理念は「即身成仏」と「済世利民」に集約されます。

「即身成仏」とは「智慧の開顕」であり、「金剛界曼荼羅」の世界の成就です。

真言密教は、あらゆる人を救済の大船に乗せ、生き身のままで成仏に導く「済世利民」をめざします。これは大日如来の「慈悲の営み」です。それこそが『胎蔵界曼荼羅』の世界の成就です。

これらの空海の教えは、高野山真言宗の管長となられた偉大な大僧正の方々に引き継がれ今日まで約1200年、時代が変わり人が変われど、一度たりとも途絶えることなく引き継がれています。

竹内祟峰管長猊下から玄津への使命(空海からの霊指)として、「空海伝説」、真言密教の「現世ご利益」「即身成仏」「齋生利民」を引き継いで、若い人たちを中心に布教活動を精進しております。

各宗教関係者並びに、全世界の僧侶の皆様のよき ご理解を賜わりまするように伏してお願い申し上げます。合掌

 

 

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