空海に導かれた玄津
空海に導かれた玄津
〜僧侶と事業家の二つの道を歩む〜
高野山真言宗千光寺派 兵庫県『霊峰雪彦山 千光寺総本山』
管長(代表役員)上野玄津
「不動明王」との出会いは必然だった
私は沖縄で生まれ、神戸で育ち、東京で暮らしていました。その私が、なぜ琵琶湖に面する高島市に移り住み、『秀真伝』に出会い、瀬織津姫に出会ったのか?
それは偶然ではなく「空海」のお導きとしか言いようがありません。
私が幼少の頃に「不動明王」に出会い、不思議なパワーを頂き、そして「空海」に興味を持ったのがキッカケです。
特に、初めて「不動明王」に出会ったときは、私自身驚くほど鮮烈な体験でした。
その不動明王に導かれて「真言密教」と出会い、1985年より護摩焚きや山岳修行を行いました。そして成田山明勝寺にて四度加行を学ぶために出家得度を受けている最中に、高野山真言宗第408世管長ならびに竹内崇峰大僧正より僧名「玄津」を賜りました。
1997年3月21日に僧階「権律師」の教師資格を賜り、2001年11月1日に「権大僧都」、2007年2月21日には僧階「阿闍梨」を拝命することにより、正式に私は空海の弟子になりました。
そして師匠・空海に導かれるままに、神々が生まれ「人」として暮らされていた琵琶湖・高島の地へ移住することになりました。
琵琶湖に浮かぶ「竹生島」には、空海が開いた真言密教の修行場があり、瀬織津姫の化身である弁財天がおられます。空海が私に、「この地で修行しなさい。この高島から人々の幸せを祈り、世界平和を祈願しなさい」
と、とても重要な使命(修行)を与えてくれたと悟りました。

このように、私を真言密教の「道」へと導いてくれたのは、何と言っても「不動明王」の不思議で強力なパワーを身に受けた経験があったからです。
私は子どもの頃から、ひどい喘息持ちでした。
週に2、3回は救急車で病院に運ばれ、少し回復したかと思えば、また発作が出て別の病院へ担ぎ込まれる。
呼吸ができなくなる辛さ。夜中に激しく咳き込み、眠れない夜。
そうした日々が10年近く続きました。様子を見かねた祖母が、ある日こう言いました。
「喘息が治るお不動さんがいるから、一緒に行こう」
連れて行かれたのは、大阪府吹田市の垂水神社でした。
境内の左端の小道をしばらく進んだその先に、一見すると粗末な小屋がひっそりと佇んでいました。
古いお堂の中を覗くと、格子戸の向こうには真っ黒なお不動さまが、じっとこちらを睨んでいました。
その瞬間のことは、今でも鮮明に覚えています。
何の縁もないはずなのに、なぜか一瞬にして胸の奥に親近感が込み上げてきて、気がつけば私は自然に手を合わせていたのです。
まるで、ずっと昔から知っていた誰かに、久しぶりに再会したような感覚でした。
そのお堂の格子戸に、一枚の張り紙が貼られていました。
そこには、こんな不思議な言葉が書かれていました。
「ノウマク・サンマンダ・バザラ・ダンカン
このおまじないを、声に出して8回唱えよ」
意味はまったくわかりませんでした。
それでも不思議と有難さを感じて、私はその呪文(真言)をはっきりと声に出して唱えてみました。
すると、うまく言葉にできない「何か」を確かに実感したのです。
それは、お不動さまの不思議なパワーを頂いているような、目に見えない不思議な力のシャワーを浴びている感覚でした。気がつけば私は夢中になって、何度も同じ呪文を繰り返し唱え続けていました。
やがて、不思議なことが起きました。
不動明王さまと自分自身がしっかりと通じ合うような感覚とともに、全身がある周波数と共鳴して、じわじわと震え始めてびっくりしたのです。参拝を終え、帰り道に差しかかったとき、私はハッと気づきました。
あれほど私を苦しめてきた咳が、ピタリと止まっているではないですか。
「もしかすると、不動明王さまのお力で喘息が治まったのでは?」
私は思わず足を止め、お不動さまが鎮座される方向に向かって、再び深く手を合わせました。
その日を境に、まるで魔法が解けたかのように、喘息は一度もぶり返すことはなくなったのです。
これは偶然治ったのではない、そう私は確信しました。
私の魂と、不動明王の真言(言霊)という宇宙からのパワーを感じ、あの瞬間に強烈に共鳴(振動)した。
それは単に病を払うという次元を超えて、私の内に眠っていた「見えない力」を呼び覚ます体験──。
それは私にとって最初の「オーラパワー」を頂いた体験でした。
今振り返れば、この不思議な体験こそが、私を空海と真言密教の「大日力」へと引き寄せられた始まりだったのです。
空海の教えを現世へ繋ぐ、宿命が刻まれた日
なぜ私は、お不動さまのパワーを頂けたのでしょうか。
思えば幼い頃からの私には、人と少し違う感覚が備わっていました。
ある春の夜のことです。家族の寝静まる寝室には、小さな神棚が祀られていました。
まどろみの中、私はふと眩しい光の気配に引き戻され、ゆっくりと目を開けました。するとどうでしょう。
虹色の光をまとって、神棚から神様のようなお爺さんとお婆さんが降りてくるではありませんか。
傍らで深く眠り続ける両親をよそに、驚き跳ね起きたのは私一人。
光り輝くお二人の神様が、私に向かって静かに深く頭を下げられます。
その神々しさに、幼心にも「ちゃんとお返ししなくては」と、慌ててちょこんとお辞儀を返していたのです。
不思議な体験はそれだけではありません。
見たもの聞いたことが、まるでビデオカメラで撮影したかのように頭の中で鮮明に再生されるのです。
興味のあることは映像ごと丸暗記でき、早送りも巻き戻しも自在にできる。
何か問題に直面すると、時計の針が一分を一秒で回るように瞬時に答えが出てくる。
子どもの頃はそれが当たり前のことだと思っていましたが、社会に出て多くの人と接するうちに、
「これは普通のことではない特殊な能力だ」と気づき始めました。「自分とはいったい何者なのか?」
「この力を何のために使えばよいのか?」
その答えを求めて、私は霊能力者や占い師など、「不思議な力」を持つ方々を探して訪ね歩くようになりました。
すると驚くべきことに、異なる場所で、異なる人々が、判で押したように同じ言葉を私に向けて言うのです。
「あなたには不動明王さまがついている」
ある占い師には、「相手には神秘十字星があり、神仏のご加護があります。この言葉の意味が、数年先に必ず理解できる日が来るでしょう」と予言されたこともあります。
沖縄のユタ(霊媒師)からは、「あなたを沖縄の黒龍が守護している」とも言われました。
当時はまだ、その言葉の深さが十分には飲み込めませんでした。
それでも不思議なほど自然に、気がつけば「仏教」そして「修験道」「神道」の書物を読み漁り、いつしか空海と真言密教の「加持祈祷(護摩焚き)」の修行の世界にひたすら引き寄せられていきました。
こうして私は、お不動さん(不動明王)との出会いから始まり、空海の教えと真言密教に行き着き、その不思議なパワーを探求し始めました。
姫路の成田山明勝寺の門をたたき、事業家としての仕事を持ちながら、「不動明王」、すなわち空海の密教の加持祈祷(護摩焚き、護摩行)の修行に励む二刀流の生活が始まりました。
すると、密教の護摩焚きなどの修行を行うことで、不思議な力(大日力)を観じることができるようになりました。そして32年前の1994年、私が32歳のときのことです。その後の人生を大きく変える運命的な出会いが訪れたのです。修行の日々を送っていたある日、高野山の昇道師匠という方が私のところを訪ねてきて、唐突にこう告げたのです。
「あなたの誕生日は2月21日ですね。これは仏縁により、空海の生まれ変わりなのです。高野山の金剛峯寺に上りなさい」

そのお使いの主こそ、空海亡き後の第408代目、
高野山真言宗管長・竹内崇峰大僧正猊下でした。
高野山真言宗全国約3600寺、信徒1000万人の頂点に立つ、
空海の直接の継承者です。
まもなく高野山を訪れた私は、竹内管長猊下に拝謁させていただく機会を得ました。猊下はおっしゃいました。
「あなたは、若い人々に空海の教えをあなたのやり方で広めなさい」
畏れ多さと戸惑いの中で、私はつい口走ってしまいました。
「誠に申し訳ありませんが、竹内管長猊下。私は頭を丸めたり、高野山で出家して僧侶になることは絶対にできません!」
すると猊下は、まるで最初からそれを見越していたかのように、静かに微笑まれました。
「あなたはすぐに僧侶にならなくてもよいのです。なぜなら、これから世俗の荒波の中で死ぬほどの苦労をすることになるのですから。つまり、それが密教の苦行(修行)となるのです。
ですから、あなたはご自身の好きなように生きなさい。
それこそがお大師さまの『現世利益』であり、真言密教の最終的な解答である『即身成仏』となるのですから」
そうおっしゃって後ろを振り向き、壁に掛けられた一枚の書を静かに指差されました。
「済世利民」
世を救い、民を潤す、という言葉です。猊下は続けました。
「この書の意味をじっくりとお考えなさい。あなたが成長した暁には『玄津』と名乗りなさい」
「玄」は天空を、「津」は潤すを意味します。
すなわち、
「仏(空海)の教えを世の中に広め、人々の幸福を実現するために」という意味が込められた尊い僧名でした。
その瞬間、私の中に
「空海の教えを現世へ繋ぐ」という、逃れられぬ宿命が静かに刻まれたのです。

しかし、その「道」は決して平坦なものではありませんでした。
「世俗の荒波の中で、死ぬほどの苦労をすることになる」
猊下の予言は、一字一句その通りになりました。
私は若くして社会の荒波を漕ぎ出し、28歳にして100億円企業グループを創り、まさしく事業が大成功を収めたかに見えた矢先の1995年1月17日、阪神・淡路大震災という未曾有の災厄が直撃します。
一夜にしてすべてを失い、文字通り天国から地獄へと突き落とされたのです。

もがき苦しんだ壮絶な日々。しかしその地獄の底で、私の人生のすべての謎が解けました。苦難から逃げようとしていた日々こそが、空海がこの私に課した修行そのものだったと気づいたのです。経典の言葉ではなく、血を吐く思いで掴み取ったもの。それこそが空海の教えの真理でした。「宗教家としての魂の探求」と「現世での実践」は、決して別々のものではない。むしろ、現世での過酷な経験こそが、真理を体得し「悟り」を得るための最も実りある修行である。私が「不二の境地」と呼ぶ、この確信と覚悟に辿り着いたのです。
阪神・淡路大震災で被災した神戸市内の千光寺総本山の再建に身を投じ、宗教家としての務めに全霊を捧げる中で、私はようやく自らの歩むべき道を見定めました。自身の信仰と、現世でのすべての経験を統合する場所。それが、私に与えられた本当の使命であると。これらは私にとって、経典の上ではなく血肉を通して空海の教えを刻み込まれる苦行(修行)そのものでした。荒波の不幸のどん底でこそ、「大日力」は再生へのオーラパワーとなる。そのことを私は心と体で体験したのです。
千光寺管長就任から阿闍梨へ──「大日力」の継承
もともと宗教法人千光寺は、弘法大師(空海)を始祖とし、「金剛峯寺」を総本山とする高野山真言宗の末寺(包括宗教法人)でした。
その後、先々代のご住職が高野山真言宗の末寺より独立し、「単立・宗教法人千光寺」となりました。
しかし諸々の手続きが完了していないことが判明し、私が顧問を務める「一般社団法人日本仏教協会」に手続きを依頼しました。
具体的には、
1、高野山真言宗包括法人から単立法人への移行
2、管轄官庁を兵庫県から文部科学省へ移行
3、雪彦山千光寺総本山を主たる事務所として兵庫県姫路市夢前町に再登録
4、白浜別院(和歌山県白浜町水晶山)の新規設置
5、東京別院(東京都豊島区北大塚)の新規設置
こうした手続きを速やかに進めました。
お陰さまで、2019年12月27日付の申請に対し、文部科学大臣より2020年1月16日付で認証書(元受文庁第3138号の1)が発行され、単立宗教法人化ならびに各別院の登録手続きが無事完了しました。
そして現在は、文部科学省へ兵庫県より総本山(主たる事務所)を滋賀県高島市今津町へ移転する手続きを申請しております。
千光寺の総本山は、約300年前に設立を発願した彌栄上人が「高野聖」として摂津の国(神戸)にて布教活動を行ったことに端を発します。
宗教法人としての登記は約74年前の1952年(昭和27年)9月19日のことです。
登記簿には、
「千手観音を本尊とし、弘法大師を宗祖として尊信し、高野山真言宗の弘法大師(空海)の教義をひろめ、儀式行事を行い、信者を教化育成し、密教興隆・衆生済度の聖業に精進し、その目的を達成するための業務及び事業を行う」と記載されています。

この目的の達成に向けて、私は等を相次いで出版しました。
大日大聖・不動明王を本尊とする護摩焚きという「密教の秘儀」を通じて、神仏の加護を得るための理解の壁を突破すること。それによって初めて人々を幸せへと導く指導者になれる。
そうした空海の教えを、自らの著書の中に一冊一冊込めながら実践してきました。
こうした修行と活動の積み重ねを経て、46歳という若さで、空海の法灯を継承する僧階の最高位「阿闍梨」の位を授かるに至りました。
「阿闍梨」とは、空海から一度も絶えることなく受け継がれてきた継承者の証です。
すなわち、私は正式に「空海の弟子」となり、その重みがじわじわと私の胸に沁みてきました。
選ばれた者だけが真言密教の奥儀「真理の炎」を師から弟子へと手渡し続けてきた「教えの命脈」。さらに光栄なことに、
第409代管長・高吉清順猊下より「一草開五葉」
総本山金剛峯寺座主・稲場義猛猊下より「山寿無窮」
の書を拝受する機会を得ました。
また、パナソニック創業者・松下幸之助氏は空海と密教を深く信奉していたことで知られています。
松下氏は、「経営の判断に迷ったとき、神仏に手を合わせ、宇宙の声に耳を澄ませた」
と語っています。
重要な決断を下すとき、神仏の声に耳を傾け祈り、心を込めて願い続けた。
「成功とは個人の努力だけで掴むものではなく、仏の智慧と調和したとき自然ともたらされるもの」
──松下氏の歩みは、まさに空海思想の現代的な証明です。
この教訓は、令和の現代でも生きています。どのような成功であっても、それは一人の賜物ではありません。
空海がいつどのような時でもあなたの隣りにおられ、同行二人で得るものです。
混迷の時代だからこそ、空海のお導きに気づいていただきたい。現代を生きる知恵の一つだからです。
松下幸之助氏は、空海と真言密教の熱心な信者であり、辯天宗の信徒総代も務めておられました。
その辯天宗の大森慈祥管長猊下と私は約30年前から親交を深めてきました。
残念ながら猊下はすでに鬼籍に入られましたが、こうした多くの宗教的な縁の広がりもまた、空海の「引き寄せの法則」の強力な磁力によって結ばれたものだと、私は確信しています。
この頃から、真言密教の瞑想法「阿字観」の修行が私の日常に深く根を下ろしていきました。
大日如来を表す梵字「阿」の字を見つめ、自らの意識を大宇宙の根源「大日如来」と一体化させる修行によって、物事の本質を瞬時に見通す力が研ぎ澄まされていったのです。
優れた修験者(山伏)たちは、阿字観の修行を積み重ねることで、意識の「目」をどこへでも運び、「心の目」で何でも見ることができるようになるといわれています。
私はその効果を実践で試そうと、将棋の段位取得に挑みました。
結果は、自分でも驚くほどのものでした。
阿字観の修行によって頭の回転が速くなり、相手の考えや次の一手を十七手先まで「心の目」で観じて先々のリスクを感知できるようになり、連戦連勝を重ねて日本将棋連盟公認三段に昇段することができたのです。
そして令和5年2月1日、日本将棋連盟(佐藤康光会長)、当時竜王だった藤井聡太先生から三段免状を授与されました。
真言密教における「阿字観」の修行は、誰もが心の奥底に秘めている潜在能力を引き出し、特殊な能力を覚醒させる可能性を秘めた奥深い実践です。
大日如来という宇宙の力(大日力)と一体化することで、人間は本来持っている力を最大限に発揮できる。
空海の教えの真髄が、ここにも息づいているのです。

ところで、私は65歳となった現在は、普段は髪を伸ばしスーツ姿で活動しており、自ら「空海ゆかりの千光寺のヘッポコ和尚」と名乗っています。
僧侶といえば丸坊主というイメージをお持ちの方も多いでしょうが、そこには私なりの思いがあります。
仏教の開祖であるお釈迦様は、螺髪と呼ばれる細かいパーマヘアだったといわれています。
ところがいつの間にか仏教界では剃髪(丸坊主)が当たり前になりました。
しかし私にとって大切なのは外見ではなく「心」です。
空海は「常識にこだわってはいけない」と、本当の仏教を追い求めて密教に辿り着きました。
誰でも身分に関係なく現世で豊かになれる「現世利益」。
生きている今、幸せになれる「即身成仏」。
当時は非常識ともいえる悟りを説いたのです。
その空海の精神を受け継ぐ者として、私は「常識」とか「非常識」といった固定観念にとらわれず、著書の執筆やSNS(動画・ブログ)など、多面的な活動を柔軟かつ前向きに、そして真剣に取り組んでいます。
その決意の具体的な形であり、私の活動の拠点となっているのが、現在私が身を置く近江の国「琵琶湖」のほとり、江州山・千光寺総本山です。

写真右:(故)釈 泰然会長(曹渓宗普賢寺管長) 写真中央:(故)水谷幸正学長 写真左:玄津管長(宗教法人千光寺・代表役員)
朝鮮半島の南北の境界37度線上に世界一大きな「世界人類平和祈願の鐘」を建立する活動を、在日本韓民族仏教徒総連合会の釈 泰然会長と玄津が一緒にお勤めさせて頂きましたことを、学校法人東海学園理事長、佛教大学元学長、学校法人佛教教育学園元理事長、浄土宗元宗務総長など兼任されながら、アジア各国との民間交流を行ない、中でも日朝友好親善活動に多大な貢献をされた、故水谷幸正学長の御自宅まで報告にあがりました。
当寺院には、人々の迷う心を洗心してくれる大日大聖「不動明王」と、現世御利益を叶えてくれる瀬織津姫観音が安置されております。そして、あの震災で崩壊した千光寺総本山の瓦礫の下から奇跡的に姿を現された空海像を、雪彦山の本堂から現在は、びわ湖・江州山千光寺総本山に移し、「空海のお寺」として人々の拠り所にすることができました。
私は、江州山千光寺と「竹生島」並びに「高島市」のPRを「国際観光地」として、びわ湖を訪れる国内外の全ての人々やお寺に興味の無かった若い人々も、日本観光に来られた諸外国の方々も、気軽に「竹生島」を訪れて空海の教えに触れていただき、真言密教に興味を持っていただきたいのです。いわば「空海の秀真伝」(ホツマツタエ)の研究会の活動により、私の使命を果たしていくことで、「空海の秀真伝」と真言密教を世界に広める一助になればと願っております。

因みに、PRという言葉はキリスト教の布教方法が語源だと聞いたことがあります。キリスト教が世界に広がったのはPR方法のおかげと思えば、日本仏教も布教活動のあり方にもっと創意工夫が必要ではないでしょうか。
写真集もそのPR方法の一つとして発刊したものです。お寺らしくない刊行物にしたのも、英語や中国語で翻訳したのも、白浜を訪れる全ての人々に「空海」を知っていただき興味を抱いていただきたいからです。
そして、地元白浜温泉の人々の幸福に寄与できるお寺にしていきたいのです。これまでのお寺の常識から外れた活動なので違和感を持たれる方もおられると思いますが、仏教には「世界平和」の教えを広めていく勤めがございます。
私は「新発想」で、新しい時代の真言密教の布教のあり方を模索し、願望を達成する為に必要となる、新しいお寺の役割を見い出し、空海の真言密教の加持祈祷(護摩行)により、仏教の奥義により人々の幸福を願って、さまざまな布教PR活動を模索しながらチャレンジしていきたいと意を新たにしております。

チベット仏教ゲルク派の最上位クラスに位置する法王
ダライ・ラマ14 世より、世界平和や密教の布教活動の功績を認められ感謝状を賜る。

イギリスのケンブリッジ由来の永い伝統を誇る
アメリカ「国際学士院大学」博士号のディプロマを拝受

世界の平和活動に貢献したことにより
2018 年6 月、世界宗教連合会副法王に任命される。




全国約3600寺の頂点となる
高野山真言宗 、空海から四〇八代目管長猊下より僧名「玄津」を授かる(1994年2月21日)

写真左:玄津管長 写真右:高野山真言宗 第四〇八代目・竹内祟峰大僧正管長猊下
竹内管長猊下は、私が拝謁させて頂いた当時は、「高野山 真言宗管長」並びに「総本山金剛峰寺座主」でした。その竹内崇峰管長猊下の御使いとして、突然に、私を訪ねて来た僧侶(昇道師匠)より、「君は、誕生日が、2月21日ですね。即ち佛縁により、空海の生まれ代わりです」と告げられました。そして、高野山の金剛峯寺に上りなさいと連れられ、高野山を訪れました。
その折り、竹内管長猊下に拝謁させて頂き、「貴方は、若い人々に『真言密教』を貴方のやり方で広めなさい」とお言葉を頂戴いたしました。そして、「ただ、貴方はすぐに僧侶にならなくても良いですよ、何故なら、貴方はビジネス界で死ぬほどに苦労します。つまり、それが密教の苦行となります。貴方は貴方の好きなように生きなさい」と諭されました。
その後、竹内管長猊下は、やおら後ろを振り向いて「濟世利民」の書を指さし、「この書の意味について考えるようになるまで成長した時に、貴方は『玄津』と名乗りなさい」と、僧名を授けて下さったのです。「玄」は天空、「津」は潤す。すなわち、「人々の幸福を実現するために、仏(空海)の教えを世の中に広めなさい」という意味です。
江州山「千光寺総本山」の山伏の方々

上の『書』は、空海より409代目の高野山真言宗の稲葉義猛管長猊下と
空海が生まれた、四国の善通寺派56世法主(当時)高吉清順管長猊下より賜りました。
教えを次世代へ
約300年の歴史を継承する「千光寺」は、新時代にふさわしい布教の在り方を模索し、弘法大師空海の教えを次世代に繋いでいく使命を抱いております。
そのため、びわ湖(滋賀県高島市今津町)の江州山「千光寺総本山」並びに「空海の秀真伝」研究会の本部とすることにより、旧来のお寺とはまったく異なるコンセプトで令和7年9月26日にリニューアルいたしました。
何よりもまず、弘法大師・空海に興味を抱いていただき、その教えに触れていただくことが大切と考え、白浜千光寺別院を「観光地」として発展を目指しております。びわ湖を訪れる外国人観光客が気楽に訪れることができるお寺、そしてびわ湖に浮かぶ超パワースポット「竹生島」に若い人々が興味を抱いて頂き。多くの方々の「竹生島」への参詣(観光)をお勧め申し上げております。
千光寺総本山の御縁

写真左:玄津管長 写真中央:辯天宗 (故)大森慈祥管長猊下 写真右:千光寺 二見昇道 相談役
上は、辯天宗の大森慈祥管長猊下、及び法城王寺の二見昇道山主(当時)にお目にかからせていただいた時の写真です。
辯天宗は、あらゆる神仏の御誓願をすべておまとめの総祖神である「大辯才天女尊」を御本尊と仰ぎ、宗祖智辯尊女の教えを世に広められておられます。高校野球で名高い智辯学園の母体は辨天宗です。また、日本船舶振興会の故笹川良一会長や松下電器産業株式会社創業者、故松下幸之助さんが信徒総代をされていたことでも有名です。
世を救い人々を幸せにする宗教の役割について語り合いました。
今から三百年前に彌栄上人が発願された千光寺にて、私・玄津は仏門に入り修行を続けておりましたが、平成七年一月十七日に起きた阪神淡路大震災により寺院は崩壊してしまいました。
世の中を照らし、庶民を照らし続けてきた「法灯」を消してはならない。そう決意して兵庫県・霊峰雪彦山の麓にて、千光寺総本山の再興に取り組みました。僧侶としての最初の大仕事でした。
以来、先代の勧めもあり、千光寺総本山の管長となり仏教界をリードする国内外の高僧との御縁や、様々な分野で活躍されている先生方との御縁を得て、世界平和に果たす宗教のあり方を学ばせていただきました。そして、お寺の外に出て、世の中に貢献し、弘法大師・空海の教えを世界に広めることこそ、私に課せられたへっぽこ和尚(僧侶)としての勤めであると確信しました。
それから三十数年後の昨年、宗教活動の舞台を「びわ湖・江州山千光寺」に移して、世界の平和と人々の幸福を祈願しております。弘法大師・空海の教えを広めるため、三百年の間、灯し続けた空海ゆかりの千光寺の「法灯」を未来永劫に輝かせていきたい。それがこれからの江州山千光寺の住職(管長)・玄津の修行であり、「空海の秀真伝」研究会の活動でもあります。
玄津の悟りへの道
| ▶︎1961年 | 2月21日、沖縄県浦添市生まれ |
| ▶︎1966年 | 父が米軍で働いていた事もあり友人はアメリカ人ばかりで、言葉が分からなくてもテレパシーで遊んでいた。 |
| ▶︎1968年 | 友人の発話障害の子供といつも無言で会話していた。 |
| ▶︎1971年 | 物事が映画のように見える特殊能力の持ち主であると沖縄のユタ(霊能者)に指摘される。 |
| ▶︎1985年 | 大阪吹田垂水神社・垂水不動尊で密教の法力を体験。以来、「空海」の真言密教の修行を行う。 |
| ▶︎1994年 | 2月21日、高野山真言宗第408世管長並びに竹内崇峯大僧正より僧名「玄津」を賜る。 |
| ▶︎1995年 | 真言密教を兵庫県姫路成田山明勝寺にて、中院流・四度加行を割行により出家得度を受ける。 |
| ▶︎1995年 | 1月17日、阪神淡路大震災。千光寺総本山が被災寺院となる。 |
| ▶︎1997年 | 3月21日、姫路成田山明勝寺にて僧階「権律師」教師資格を賜る。 |
| ▶︎1997年 | 兵庫県霊峰・雪彦山の麓に千光寺総本山本堂を再興し、管長に就任。 |
| ▶︎1997年 | 「世界人類平和祈願の鐘」建立推進委員会事務総長として活動。 |
| ▶︎1999年 | 12月8日、伊勢神宮・櫛玉宮祭主・石田かつえ先生より、奉安されていた真正「仏舎利」を賜る。 |
| ▶︎2001年 | 11月1日、僧階「権大僧都」を賜る。 |
| ▶︎2007年 | 2月21日、僧階「阿闍梨」を賜る。 |
| ▶︎2008年 | 3月21日、社会文化功労賞と勲章を賜る。 |
| ▶︎2017年 | 7月、アメリカ国際学士院(I.A.E.U )大学(カルフォルニア州ロサンゼルス)より宗教哲学博士号を受け客員教授となる。 |
| ▶︎2017年 | 11月、南紀白浜町にて「千光寺白浜別院」を再興に着手し、護摩行を執り行う。 |
| ▶︎2018年 | 5月22日、世界平和と白浜の祈願のため大柴灯護摩法要を執り行う。 |
| ▶︎2018年 | 6月、世界宗教連合会の副法王に任命される。 |
| ▶︎2021年 | 11月 成田修験宗より最高顧問相談役に任命される。 |
| ▶︎2023年 | 日本将棋連盟より3段の段位を授かる(令和5年2月1日) |
| ▶︎2025年 | 兵庫県「雪彦山」ならびに「白浜別院」を、びわ湖・江州山千光寺総本山に移転(2026年9月26日) |
| ▶︎2025年 | 「空海の真伝」研究会の設立(2026年2月21日) |
| ▶︎2026年 | 「儀認書を 村上天皇(上皇陛下従兄弟)六條有康様より「厚聖(神道最高位)」をたまわる」(令和7年7月7日付) |
| ▶︎2026年 | 「空海の真伝(ほつまつたえ)」の出版(2026年7月9日) |