▶︎「柴燈大護摩法要」2 〜山伏とは〜
千光寺 玄津管長が相談役を務める成田不動修験本宗より、姫路、四国、和歌山、関東地区から選りすぐられた山伏(やまぶし=修験者)の面々が、「柴燈大護摩法要(平成30年5月22日)」のために白浜町千光寺に集結いたしました。
さて、この護摩法要に登場する山伏とはいったいどういう人たちでしょうか。
山伏は、日本各地の霊山と呼ばれる山々を踏破し、懺悔など厳しい艱難苦行を行って、自然の霊力を身に付ける事を目的として日夜修行に励んでおられます。その信仰の対象は、一般的な日常生活からかけ離れた「他界」に属するものであり、山伏は山岳という「他界」で修行することによって不思議な力・霊力を吸収し、自己を引き上げ、「他界」と現代社会をつなぐ者として霊力を人々に授ける存在となります。つまり修験道の指導者です。山岳修行を行う=山に伏して修行することから山伏と言われています。「修験者」という呼び方は「験(霊験)」を修めた者という意味。また一宗一派によらず諸山を歴訪することから「客僧」ともいわれています。
教義的には、山伏の「山」の字は報身・法身(ほっしん)・応身の三身即一、「伏」は人と犬の2字を組み合わせるゆえ、無明(むみょう)(犬)法性(ほっしょう)(人)不二(ふに)を示すとされています。
この2字によって、「山伏」が真言密教の根源仏である大日如来と同一の、成仏しうる存在であることを示ししている事から、仏教の秘密の教えである密教の悟りを得る為に大変な修行をされている「超能力者」の方々として、玄津は捉えております。
山伏の方々は
鈴懸(すずかけ)を着、
結袈裟(ゆいげさ)をかけ、
頭に斑蓋(はんがい)と頭巾(ときん)、
腰に貝の緒(お)と引敷(ひっしき)(坐具(ざぐ))、
足に脚絆(きゃはん)を着けて八つ目の草鞋(わらじ)を履き、
笈(おい)と肩箱(かたばこ)を背負い、
腕に最多角(いらたか)の数珠(じゅず)を巻き、
手に金剛杖(こんごうづえ)か錫杖(しゃくじょう)を持って
法螺(ほら)を吹くという独自の服装をしています。
この服装にも意味があります。教義上では、
鈴懸や結袈裟は空海の真言密教の金剛界と胎蔵界、
頭巾は大日如来、
数珠・法螺・錫杖・引敷・脚絆は修験者の成仏過程、
班蓋・笈・肩箱・貝の緒は、修験者が仏として法力が使えるように
それぞれを表しています。
この衣装の着用により、山伏自身が大日如来や曼荼羅となり「現世利益」「即身成仏」しうることを示しているのです。
約1200年前より空海も修験道の影響を受け、また山伏も空海の影響を受けたのではないかと玄津は考えております。山伏がもっとも活躍したのは中世期で、吉野(奈良)、熊野(和歌山)等々の山岳にて修行、加持祈祷の活動を行い、戦乱などの際は従軍祈祷師として活躍しました。空海も同時期の生まれです。空海は30歳の時に唐に渡り、長安・青龍寺の恵果阿闍梨より密教を伝授されましたが、本来ならば10〜50年学んでも伝授され得ないものでした。空海が最短で密教の全てを学ぶ事が出来たのは、中国に行く前の山岳修行中に「修験道」を学び、体感・体験していたからではないでしょうか。