▶︎「柴燈大護摩法要」1 〜柴燈大護摩法要とは〜
柴燈大護摩供(さいとうおおごまく)とは、真言密教の奥義であり、野外で行う大規模な護摩(加持)祈祷のことです。
本来は山岳修行にて山伏(行者)だけで修するものであるため、国内外でもほとんど類を見ません。不動明王の強力な法力を得た山伏により、願望達成や問題解決など色々な奇跡を起こすとされる最強の奥義です(柴燈護摩に柴の字が当てられているのは、山中修行で正式な密教仏具の用意もままならず、屋外で、柴や薪で壇を築いたことによると伝えられています)。
寺院内の護摩壇で行う「護摩行」より大規模な「柴燈大護摩供」は、真言宗を開いた空海の孫弟子に当たる聖宝理源大師が初めて行ったといわており、醍醐寺をはじめとする真言宗当山派修験道を継承する寺院や真言密教系寺院のみで行われるものです。
柴燈大護摩や護摩行等々を含めた「空海の加持祈祷」は、仏の法力を願う儀式であり、様々な問題を解決する・願望を達成する、玄津流に言わせて頂くところの「HAPPY method」です。
「加持」とはadhisthanaの訳で手印・真言(マントラ=古代インドのサンスクリット語)・観想などの仏教の奥義であり、空海の「三密」で加護を衆生に与えること。
「祈祷」とは真言を唱えて神仏に祈ることを意味します。
つまり護摩祈祷は仏の法力を得る為の唯一の手法です。真言密教においては、手に印契を結び鈷を用いて、護摩をたき、真言を口唱して仏の加護を求めます。祈祷を行う儀式である修法には大きく分けて息災・増益・敬愛・調伏の4つの体系があり、これにより除災招福などの空海の「現世利益」「即身成仏」を得ることが出来ます。
加持祈祷は仏教伝来以後日本古来の呪法と結びつきながら修験道として発展しました。聖徳太子が父・用明天皇のために法隆寺を建立したことや、天武天皇が皇后鸕野皇女(後の持統天皇)のために薬師寺を建立したことも、こうした歴史の流れの中の加持祈祷の一環です。その後、鎮護国家の思想とも結びついて「金光明経」や「仁王経」の読経が盛んに行われるようになりました。
〜仏の大悲大智が衆生に加わり(加)、衆生がこれを受け取り(持)、行者が手印を結び、口から真言を発し、心に不動明王(本尊)を観ずれば、行者の三業(空海の三密)を清浄にして即身成仏が可能になる〜
この「三密加持」説が唱えられ、また効験を得る為に特定の陀羅尼・印契を修して念じる呪法が行われたと伝えられております。
平安時代には皇室から庶民に至るまで、国家の大事から日常の些事まですべて加持祈祷によって解決しようとする風潮が高まり、天皇個人のための祈祷を行う護持僧が、延暦寺・園城寺・東寺などの密教の大寺院の高僧から選任されたそうです。その他にも天災・疫病・出産など様々な名目で各種の祈祷(請雨法・孔雀正法・仏眼法・北斗法・普賢延命法など)が行われていました。
真言密教の基本は「秘密の教え」である為、重要となる奥義を省いた、千光寺における護摩法要の式次第「火生三昧次第」をご紹介いたします。
柴燈大護摩供においては、導師(山伏のリーダー)は、修験道に基づいた18もの手順を進行させていきます。
一、着床、護摩法如常
二、火天勧請 印、真言、四囁
三、本尊勧誓 印、真言、四囁
四、神変大菩勧誓 印、真言、四囁
五、洒水、漱水
六、蘇油、我今奉献、蘇油妙供 納受護摩、悉地円満
七、大金剛輪陀羅尼
八、加持念珠
九、扇火
十、小木 投炉中
十一、火天呪 百遍
十二、慈救呪 百遍
十三、南無神変大菩薩 百遍
十四、火界呪 百遍
十五、三尊撥遣、禅指各三
十六、拍掌
十七、三部、被甲
十八、普礼、退座
他の山伏、参加する僧侶は、一、導師と一緒に入堂後に、次の流れに従って祈祷を行います。
一、入堂一、問答一、法剣一、法斧一、法弓一、願文一、火入れ一、読経
※全国には多くの修験道・密教系寺院があり、またそこからさらに進化した流儀をお持ちの宗派があります。千光寺の「柴燈護摩」の手順や作法について、間違った表現や失礼な表現がある場合は、訂正させて頂きますので、ご容赦ください。よろしくお願いいたします。