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▶︎世界人類平和祈願の鐘

千光寺総本山の責任役員から管長(代表役員)へ就任したばかりの私(約20年前の玄津、写真の左側)は、朝鮮半島の南北の境界37度線上に世界一大きな「世界人類平和祈願の鐘」を建立する活動を、在日本韓民族仏教徒総連合会の 釈 泰然(曹渓宗 普賢寺 管長)会長(写真右)と一緒にお勤めさせて頂きました。

さらに、「世界人類平和祈願の小さな鐘」を持って仏教大学の水谷学長の御自宅まで報告にお伺いさせて頂きました。

写真中央が、仏教大学の水谷 幸正(みずたに こうしょう、1928年4月1日 生まれで 2014年2月7日に肝内胆管がんで死去)学長(当時)です。
水谷先生は、佛教大学教授等を経て、1979年より仏教大学学長として活躍された仏教学者であり、学校法人東海学園理事長、佛教大学元学長、学校法人佛教教育学園元理事長、浄土宗元宗務総長。専攻は仏教学であり文学博士でもありました。お世話になった水谷学長のご葬儀は、上善寺にておこなわれました。弔辞が4名、弔電が千数百通、そして各界からの数多くの会葬者、これらが水谷学長の社会貢献の足跡を現すものだと思います。

水谷先生は、公職活動とは別に、アジア各国との民間交流を活発に行われ、中でも日朝友好親善活動の業績は顕著です。日中国交正常化がなされた後、日本との過去清算や国交正常化がなされていない唯一の国となった、朝鮮民主主義人民共和国との友好親善を実現するべく、故・奥田東京都大学元総長らと共に1970年代から注力されておりました。又、年来の友人であり代議士である野中広務元内閣官房長官の後援会長を務め、故・金丸信自由民主党副総裁との親交も厚く、朝鮮と韓国の南北の平和統一と東アジアの平和の問題や「日韓友好平和の搭を守る会」の活動についていろいろご支援をいただきました。

 

朝鮮半島に建立する「世界人類平和祈願の鐘の二分の1の大きさの鐘」を造り、写真左側の国会議員アントニオ猪木氏の当時所属していたスポーツ平和党(1989年に結成。1990年のイラクのクエート進行時には、日本人人質の解放に尽力)党首に報告にさせて頂き、多くの韓国・日本の国会議員のよき理解とご支援を受ける事ができました。

 

「世界人類平和祈願の鐘」の建立推進運動の当時の事務局は、四天王寺境内に有りました。
「世界人類平和祈願の鐘」の活動推進母体となった「日韓友好平和の塔を守る会」の会長が、四天王寺の110世管長(当時)出口順徳管長猊下でした。

四天王寺の歴史は古く、推古天皇元年(593)に建立されました。今から1400年以上も前のことです。
『日本書紀』の伝えるところでは、物部守屋と蘇我馬子の合戦の折り、崇仏派の蘇我氏についた聖徳太子が形勢の不利を打開するために自ら四天王像を彫り、「この戦いに勝利したら、四天王を安置する寺院を建立しこの世の全ての人々を救済する」と誓願し、合戦に勝利し建立したということです。
四天王寺では、聖徳太子=お太子さまをしのんで、毎年4月22日に聖霊会舞楽大法要を催しています。重要無形民俗文化財の天王寺舞楽が披露され、露店も多く並び、庶民のお太子さま様信仰のお寺として親しまれています。

出口順徳管長猊下は、色々な面で、釈泰然管長と昇道師匠(高野山大学卒業後、毎日新聞にお務めされていた学僧で、約30年前からの千光寺の相談役)、そして若造であった私(玄津)の「世界人類平和祈願の鐘」の活動について 善きご理解を賜り支援して頂きました。”本当に「徳」がある”と言うのは、出口管長猊下の事だと、昇道師匠と私はよく話しておりました。

現在、「世界人類平和祈願の小さな鐘」は千光寺境内にて展示中です。

また昇道師匠のお引き合わせにて、釈 泰然管長猊下の御弟子さんに当たる釈慧明副住職が、当寺にて修行したいとおっしゃり、真言密教の護摩行や各法要を修められました。

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